どんな世代でも、誰でも気軽に「脳の健康診断」が受けられるようになったら?東北大学加齢医学研究所から生まれたベンチャー企業・株式会社CogSmartは、同研究所のデータに基づくAIで、脳のMRI画像から「脳の健康状態」を可視化するサービスを開発した。記憶力や注意力など脳機能の分析結果から、脳の健康を維持・改善するための生活習慣のアドバイスまでをレポートにまとめてくれる。同社は「若いころから生活習慣を見直し、一人ひとりが認知症を予防できる世の中にしたい」と期待を込める。
東北大学加齢医学研究所で、医師、研究者として脳科学分野を探究してきた瀧靖之教授。医師として脳腫瘍や脳萎縮の有無をMRI検査で調べる「脳ドック」にも関わる中で、最先端の研究と実際に実用化されている医療サービスとのギャップを感じてきたという。
「MRIの画像を説明するとき、受診者は『腫瘍があるか、大きな梗塞があるか』というより、『脳が健康かどうか』を知りたがっていました。研究上は脳の画像から健康状態についてさまざまなことがわかるのですが、世の中にはそれを知ることができるサービスがなかった。医学でわかっていることをもっと世の中につなげられたら、日本で患者数が500万人を超えるとも言われる認知症を予防でき、個人、家族、地域、国みんなが幸せに生きられるのではと思いました」
CogSmartが開発したのは、脳のMRI画像から脳の健康状態をAIが数分で解析し、結果をレポートにまとめてくれるサービス「BrainSuite(ブレーン スイート)」だ。心理テストや認知テスト、生活習慣に関するアンケートも実施してその結果を総合し、脳の健康の維持や改善のためにどんな生活習慣に気をつけたらいいのかを個別にアドバイスしてくれる。瀧教授はこう説明する。
「日本には世界的に見ても珍しい『脳ドック』がありますが、MRI画像を見て、動脈瘤や腫瘍がないことを確認するだけで終わります。でも実は私たちの脳は身長や血圧と同じで個性があり、同世代の中でもその健康状態を正規分布できるんです。脳の認知機能は、その人のストレスレベルや心理状況、生活習慣によって状態にばらつきが出る。それを測定できれば、若い世代でも、将来的にリスクが高い状態にある人がわかるようになります」
具体的には記憶力を司る脳の「海馬」の体積を測ることで、脳の認知機能の状態や、普段の生活習慣との関連性を測定する。「海馬はストレスで萎縮したり、逆に運動することで神経細胞が増えるなど、生活習慣に鋭敏に反応することがわかっています。脳には可塑性(変化する力)があり、運動や生活習慣次第で海馬の神経細胞は増える。脳の健康を可視化すれば生活習慣の変容のきっかけになり、何をしたらいいのかわかればその人の行動が変わる。そこが私たちの目指すところです」
独自開発したAIの元になっているのは、加齢医学研究所が2000年代から蓄積してきた「脳のデータベース」だ。同研究所の若い世代から高齢者までの健常な3000〜4000例の脳と生活習慣のデータをAIに加えることで、世代ごとの海馬の体積の状態や生活習慣との関連性を導き出すことが可能となった。
同社は2021年4月にヘルスケア大手のフィリップス・ジャパンと、Brain Suiteの販売で業務提携を開始。同11月現在、首都圏を中心に約20の医療機関で脳ドックのオプションとして導入が決まっている。樋口代表は「全国の人からサービスを『受けたい』との声がありますが、現在は首都圏が中心で、地方はこれから。まずは日本で着実にサービスを広げていくことが重要です。そのためには、睡眠や食生活など脳の健康のために必要な事業をしている会社とアライアンスを組んで『生涯健康のエコシステム』を広げていきたいです」と語り、自身の体験も踏まえながらこう続ける。
「私は38歳で、同世代の友人からは『認知症は将来の自分にも関係するかなぁ』と少し先の問題のように聞かれますが、脳へのダメージは人によっては30代から目に見えて始まっており、50代以上の方だけではなく、30代・40代からもBrainSuiteを受けてほしいと思っております。私自身、20代からの激務や飲酒多量などもあり、ここ数年『記憶力が下がっている』と薄々は感じていました。BrainSuiteを受けてみて、自分自身の海馬の萎縮レベルと記憶力の低下の現実をまざまざと見せつけられました(苦笑)。医療テックの会社の代表としては失格ですね。とはいえ、そこで終わりではなく、海馬を中心に脳には健康になれる特性があります。レポートのアドバイスをもとに、私自身も改めて脳に良い運動や生活習慣を意識的に行うなど、来年は良い結果となり汚名返上できるよう、行動変容を心がけています。ぜひ、皆様にもこの体験を味わっていただき、ご自身の脳や生活習慣を見直すきっかけとしてほしいと考えています」
樋口代表は2020年に同社の香港法人を設立し、サービスの海外展開も進めてきた。「今、香港において医療機器の認証手続きを進めているところ。香港で海外用の認証を得られれば中東や他の国でも応用可能になるので、日本発の知見とAIの力を広げていく柱として頑張っています。ゆくゆくは全ての方々にこのサービスを広めたいので、脳ドックがなくても、スマホなど、国内外を問わず日常生活に溶け込んでいるデバイスを活用して、誰であってもCogSmartのサービスが行き渡る形を作りたいです。より簡単な方法で、国や人種を問わず、誰もが脳の健康維持と認知症予防をできるようにすることが目標です」
瀧教授は今後の展望について、「脳科学をもっと世の中に還元していきたい」と力を込める。「私たちは結局、いかに幸せに生きるかにかかっています。私たちも研究室も、子供から高齢の方まで色んな方がどう幸せに生きていけるか、というさまざまな研究をしています。将来は認知症予防だけでなく、もっと大きなビジョンで事業を作っていきたい。がっちりとしたエビデンスを持ちながら、かつみんなが幸せになれるような世界をつくる。それをまずは日本でしっかりやった上で、樋口さんをはじめ海外メンバーとともに、世界に発信していきたいと思っています」